NHK文化センター松本で、巨樹探訪と森林浴講座を毎月2回開いている。巨樹のある森へ旅をして英気を養うものである。その折、バスの車中で話しをするにあたり、資料が必要になってきます、【人は草である】なにやら衝撃的な一文、草にまつわる話ですので、その一部をご紹介します。
<24節気植物秘話より>
アシ・ヨシ(葦)<ススキ(茅・カヤ)<イネ科
ヨシは日本全土の湿地・河川・池沼などの止水域で大群落を作る。ヨシは近来その役割が再認識されてきている、
滋賀県では「ヨシ条例」を制定し、水質浄化のための湖岸のヨシを保護し繁殖を助けている(魚の絶好の隠れ家でもある)。古くから民族的にも身近な植物で、初生のヨシは柔らかく食用なり役立つので「葭」、穂を出さない長大なものは役に立たないので「蘆あし」、葉が枯れ茎も堅くなると葦簀よしずなどとして利用できるので「葦よし」などと変化に富む。「アシ」は悪しに通ずるので「ヨシ」とした説
日本は「豊葦原の瑞穂の国」(日本書紀)と呼ばれた.アシとイネの広がる風景は日本の原風景である。天と地が現れ、天(高天原たかまがはら)に天之御中主(あめのみなかぬし)、高御産巣日(たかみむすひ)、神産巣日(かむむすひ)の3柱が登場する。続いて地上には、どろどろとした形にならぬ脂のような状態の中から宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂ)という葦の芽の神が生まれた。
古事記では、人間の住む地上を高天原から見て、「葦原(あしはら)の中つ国」(葦がサワサワと繁茂している、天と地との中間にある国)と呼んだ。このことからもウマシアシカビヒコヂこそ、私達人間の祖先神だった。【人は草である】という考えである。人間のことを最初に青人草(あおひとくさ)と言ったのはイザナギである。
人はおのずと萌えいづる(自然)草のような存在であり、植物の仲間であると考えていた。
・人間は考える葦である。(パスカル)・・偉大さと弱小性
「人は一本のアシにすぎない。自然の中では最も弱い物だ。しかし、それは考える葦である。」(人はアシのように弱いが、アシのようにしなり、かわし、柔軟に、考えることができる。)
・「嵐が来れば、オ-クは倒れるがリード(アシ)は立っている」・・柔よく剛を制す。
・「葦の髄から天井をのぞく」(ことわざ)・・管の中から天井をのぞいても、広く全体を見ることができない。
・「折れかけているアシの杖を頼みにしては、それによりかかる手を刺し通すだろう」(旧約聖書:イスラエルのエジプトは頼りにならないことを指す。)
アシという一本の草に人間は多くの黙示を感じ取ってきた。
